呼吸器専門医A 大阪で、建築、喘息治療の今昔、日本の古代に思いを巡らせる

呼吸器専門医 Aはメーカーさんの企画で喘息診療に関して、全国からクリニックで喘息を診ているエキスパート限定23人が呼ばれての座談会「クリニックにおける重症喘息治療の重要性」に出席のために大阪に来ています。

梅田スカイビル」のすぐ横のホテルに宿泊しました。梅田スカイビル日本建築学会賞を受賞した作品で原広司氏の設計です。

新国立競技場や高輪ゲートウェイを設計したあの隈研吾氏の師匠です。隈氏の作品は木をふんだんに使いファサード(壁面)に特徴がありますが、この梅田スカイビルは鉄とガラス、そして2棟のビルを上でつなぐ空中庭園に特徴があり、空中庭園の存在により構造的強度を高めているとのことです。JR京都駅ビルも原氏の設計で、どこか京都駅の大屋根にも通じる部分を感じます。

昨夜はあいにくの雨でしたが、雨に浮かび上がる梅田スカイビルは幻想的でもありました。今日は一転して晴れて日差しが暑く感じられます。

雨に浮かび上がる梅田スカイビル

呼吸器専門医Aが建築に興味を持つようになったのは息子が大学の工学部で建築を専攻するようになった2007年からです。ちなみに息子が学部、大学院を卒業したのは、英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」(以下「THE」)がベネッセグループの協力のもと発表した「THE 日本大学ランキング2023」で4年連続で総合ランキングの1位に選出されている大学です。同ランキングの指標は「教育リソース」「教育充実度」「教育成果」「国際性」の4分野に関して、学生の学びの質や成長性に焦点を当てているとのことです。
話が横道にそれました。ところで「重症喘息」という言葉からどういう状況を想像するでしょうか?なんとなくいつも「息をするとゼーゼー、ヒューヒューして苦しそうにしている」といった患者さんでしょうか。昭和の頃の喘息のイメージはそんな感じでした。そして、しばしば発作を起こして、外来でアミノフィリンという薬の点滴をやってもらうというのが昭和の喘息の診療です。つまり喘息診療は発作治療に焦点があてられていました。私が研修医だったころはまさにそうでした。それが平成になって喘息(気管支喘息)の正体は気管支の慢性の炎症であることがわかって、炎症を抑える薬である吸入ステロイドが治療の中心と位置付けられ、ゼーゼーするといった喘息症状を改善する吸入気管支拡張薬との合剤が治療の主流になりました。残念ながら今日でもこの発作治療が喘息治療であると思い昭和の喘息治療を続けておられる先生もいらっしゃいます。重症喘息の今日的な考えは、吸入ステロイド+吸入気管支拡張薬などの適切な治療を行っても、急性増悪(発作を現在は急性増悪と呼びます)を年に2回以上起こすような患者様と位置付けられています。年にたった2回の発作を起こしても、喘息コントロールが悪いと判断されるのが令和の喘息治療の考え方です。今回の座談会でもやはりエキスパートの先生は同様の考え方で、これらの患者様には抗体製剤(いわゆるバイオ製剤)の使用を考え、お勧めするというスタンスでした。クリニックで開業されている呼吸器の専門医も積極的なバイオ製剤の使用を行っているという事実を確認・共有でき、とても役に立つ座談会であったと感じました。

現在、気管支喘息の治療に使用できるバイオ製剤は日本では5つあります。その使い分けはまだ確立されたわけではなく、日本アレルギー学会の喘息診療ガイドラインでも使い分けについては、明確には示していませんが、日本喘息学会が出している実地医家のためのガイドライン(Practical Guideline for Asthma Management:略してピーガムと呼んでいます)には使い分けがフローチャートで示されていて、学問的な権威のあるガイドラインは偉い先生方(大学の教授クラス)はいろいろなしがらみがあって思い切ったステートメントを記すことができないのかなと妙に納得してしまいます。気管支喘息については、以前に語ったものがYou Tubeにアップしてありますので、お時間があったら覗いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=pBar1YpOqRg

バイオ製剤の使い分けについての私の考えについては以前に講演でお話ししたことがありますが、現在勤務している神奈川のクリニックではできない検査(呼気一酸化窒素測定)がクリニックを開業したらできるようになる見込みですので、また私自身の使い分け方もおそらくは変わると思いますので、クリニック開院後のオフィシャルページで改めて説明をしたいと考えています。
大阪から帰る「のぞみ」の中でこのブログを書いているうちに、伊吹山が見えて来ました。伊吹山で思いだすのはヤマトタケル日本武尊あるいは倭建命)です。草薙の剣を熱田神宮のミヤズヒメ(宮簀媛あるいは美夜受比売)のもとに置いたまま伊吹山の荒ぶる神を退治に行き、白い猪の姿をした伊吹山の神に敗れて、大和を目の前にして命を落とし白鳥になって飛んでいったと言う日本古代史最高のヒーローです。

伊吹山 のぞみの車窓から

K総合病院がある千葉県の房総半島はヤマトタケルが渡った地として伝説が多く残っていて、木更津、袖ケ浦、富津、君津などの地名はすべてヤマトタケル伝説に由来するとされています。そんなことを考えているうちに「のぞみ」は熱田神宮のある名古屋を過ぎて、素晴らしい天気のおかげで富士山もとてもきれいでした。

日本の大動脈が歴史の地を結んでいることを改めて感じることができたちょっとした旅行になりました。
(2023年4月16日に記載)