6月6日~ノルマンディーに思いを巡らした日

4日前は6月6日でした。実は79年前のこの日1944年6月6日は第2次大戦中の最も大規模な作戦と言われたノルマンディー上陸作戦が行われた日です。作戦当日だけで連合軍約15万人が作戦に参加しましたが、上陸とその後の戦闘での死傷者は連合軍とドイツ軍併せて42万5000人を数えたと言われ、それからパリ解放までの作戦全体で約200万人の連合軍兵士が参加したとされています。数多の映画で描かれています。
このような激戦地となったノルマンディーですが、もともとはノルマン人の土地という意味です。ノルマン人というのはもともとスカンジナビア半島など北ヨーロッパに住んでいた北方系ゲルマン人で北フランスに定住したグループです。一般にこのスカンジナビア半島など北ヨーロッパに住んでいた北方系ゲルマン人は、「バイキング」名前で呼ばれています。このノルマン人達が北フランスにノルマンディー公国を建てるのですが、ノルマンディー公は形の上ではフランス国王の臣下でした。最近英国ではチャールズ3世の戴冠式がありましたが、長い間イングランド王はフランス出身だった時代が続きました。ノルマンディー公ギョームが11世紀にイングランドへ攻め込んでノルマン朝を建国しウィリアム1世(征服王)としてイングランド王に即位しましたが、このノルマン朝の次のプランタジネット朝ももともとはフランスのアンジュー伯でしたので、フランス王の臣下の形を取るわけで、その人がイングランド王になったので、イングランドとフランス国内の広大な領地を有しており、臣下ながらフランス国王よりもはるかに広い領地を支配していました。フランスの有力な貴族であったイングランド王はフランス王家といろいろな形で親戚関係を持っていたため、イングランド国王が「自分はフランス国王になる権利をもっている」ということを主張して始まったのが有名な英仏百年戦争です。イングランド王がフランス出身の人が多かったために、イングランド王の宮廷の公用語はフランス語が長く使われ、国王自体もフランス語しか話さない時代が長く続きました。現在はイングランドウェールズスコットランド北アイルランドを合わせた英国ですが、随分たくさんの王朝が交代し、世界史を勉強する受験生を悩ませました。しかも王様が、ヘンリーとかジェームズとかエドワードとかリチャードとかウイリアムとか機関車トーマスの登場機関車を思わせる名前がたくさん出てきて(失礼しました)、それが薔薇戦争など王位を巡る争いでも敵味方両方にいてとてもややこしいですよね。それにしても長い英国王の歴史でチャールズという王様が3人目というのは意外に少ないですね。
ノルマンディー地方に話を戻しましょう。ノルマンディーはパリがあるイル・ド・フランスの北西に位置し、首府はルーアンです。ルーアンはモネの連作で有名なあの「ルーアン大聖堂」がある都市です。

オルセー美術館にある「ルーアン大聖堂 扉口、朝の陽光」

歴史に詳しくない人でも知っている歴史上の人物にジャンヌ・ダルクがいます。

パリで滞在したホテルの前にあった黄金のジャンヌ・ダルクの像

ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられたのがルーアンです。何でフランスのために戦ったジャンヌ・ダルクがこの地で処刑されたのかというと、ノルマン朝いらい百年戦争の時代もノルマンディーはイングランドと関係が強く、この時代もイングランド側で戦っており、フランス人であってもジャンヌ・ダルクは敵でした。ノルマンディー地方には有名なル・モン=サン=ミシェルがあります。

ル・モン=サン=ミシェッル 秋空に何本もの飛行機雲の線
まるで新海誠監督の絵のよう

ノルマンディーの西寄りに位置し、ブルターニュに近い場所です。フランス語で「聖ミカエルの山」という意味です。大天使ミカエルは甲冑をまとって神の軍団を率いサタンと戦うといった図で描かれることが多く、このル・モン=サン=ミシェルの修道院のてっぺんにも黄金の大天使ミカエルの像が立っています。

ル・モン=サン=ミシェッルのてっぺんに立つ黄金の大天使ミカエルの像 
ル・モン=サン=ミシェッルで購入したガイドブックよりスキャン

それにしてもル・モン=サン=ミシェルの一番上の西のテラスに立つと、広大な干潟の向こうに大西洋が広がり、天と地の狭間、この世とあの世の狭間に立っているような不思議な気分になります。

西のテラスからの眺め まさにこの世とあの世の狭間にいる様な不思議な感覚

私の押しのクロード・モネはノルマンディーが好きだったようで、「ルーアン大聖堂」の他に、エトルタの断崖も連作を残しています。ルーアン大聖堂は定点で時刻とともに色や明るさが変わっていく大聖堂を描いているのに対して、「エトルタの断崖」はいろいろな位置から描いている点が対照的です。エトルタの断崖はモネ以外の多くの画家も描いています。

写実主義の巨匠キュスターブ・クールベの「エトルタの断崖 嵐の後」オルセー美術館

そういえばノルマンディーとイル・ド・フランス(パリを中心とする地域圏)の境にあるのがジヴェルニーで、ここはモネが晩年住んだ家があります。有名な「睡蓮」の連作の舞台ですが、そのほかにも「積みわら」の連作の舞台でもあります。印象派ファンの聖地です。ノルマンディーは広いですね。

ジヴェルニー 睡蓮の池と太鼓橋 モネの世界

積みわら 夏の終わり オルセー美術館

ノルマンディーの西隣がブルターニューです。丁度のこのブログを書いている頃、国立西洋美術館で「憧憬の地 ブルターニュ ― モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷」という展覧会が終盤を迎えようとしていました。この展覧会も見に行ってきました。国立西洋美術館ル・コルビジェが設計し世界遺産にもなっています。建築に興味がない人でも、海外の建築家ではアントニオ・ガウディル・コルビジェの名前は聞いたことがあるでしょう。国立西洋美術館は何回も訪れていますが、そのたびに内部でこんな部分があったのかと新しい発見があります。

国立西洋美術館内部

ル・コルビジェの生まれはスイスのラ・ショー=ド=フォンという街で、父親は時計職人でした。高級時計のメーカーの多くがラ・ショー=ド=フォンにあり、時計製造業の聖地として世界遺産にも登録されています。ここが世界の時計製造業の中心になったいきさつは後で書きたいと思います。ところでここ国立西洋美術館は絵画も建築も両方楽しめる場所です。

ただ、今回の展覧会では画題がブルターニュということであんまり好きな絵がなかった感じでした。私自身はノルマディーの方が好きかも知れません。国立西洋美術館では企画展のチケットで常設コレクションも見ることができ、こちらも見応えがあります。特に宗教画のコレクションは必見です。
ところでブルターニュも語源はノルマンディーと似てブルトン人の地という意味です。ブルトン人はケルト人の末裔で、ブリテン島からこの地に移り住んだ人たちです。中世にはブルターニュ公国を形成していました。ノルマンディーとともにフランス国内の異郷といった趣があると言われています。ここの有名な都市はナントとレンヌです。ナントは世界史でならった「ナント勅令」で聞いたことがある街ですね。ナント勅令は当時のフランスで吹き荒れていた宗教戦争ユグノー戦争)を終結させるべくブルボン朝の初代の王であるアンリ4世が出したもので、カトリック(旧教)と新教(いわゆるプロテスタントカルヴァン派で信者はユグノーと呼ばれました)とのどちらも信仰を許可したというものです。その頃のフランスでは旧教徒とユグノーは血で血を洗うような闘争を繰り返していました。アンリ4世は残念ながらその後狂信的なカトリック信者に暗殺されてしましました。アンリ4世とシャルル・マーニュ(カロリング朝)がフランスの歴代国王の中で私が好きな王様です。イングランドでは多くの王朝が交代して受験生泣かせと書きましたが、フランスはメロヴィング朝カロリング朝カペー朝ヴァロワ朝ブルボン朝の5つだけなので覚えやすいですね。ところでブルボン朝時代のフランスの外貨獲得の中心であった職人の多くはユグノーでした。ところが時代が下がって国王となったルイ14世太陽王)がナント勅令を廃止して、再びカトリック以外の信仰を禁止したため、多くのユグノーが国外へ脱出しました。時計職人の多くが隣国のスイスへ移ったためにスイスが時計産業の中心となったということです。それでプレゲ、オーディマ・ピゲ、ショウメ、パテック・フィリップ、ウブロなど高級時計メーカーがフランス風の名前なんですね。
パリであったヨーロッパ呼吸器学会(ERS)に行ったときには、世界3大戦車博物館のひとつソーミュール戦車博物館へ行ってきました。ここは戦車ファンの聖地です。

ソーミュール戦車博物館で大興奮「パンツァーフォー!」

ソーミュールへはパリからTGVに乗ってかつてのアンジュー伯領の都アンジェでローカル線に乗り換えての日帰り旅です。

アンジェの街を散策 誰の像なのかはわかりませんでした 
この後駅前のカフェでグラスシャンパーニュ頂きました

そのローカル線の列車は始発がナントで、終着がオルレアンでした。オルレアンは百年戦争の時にイングランド軍に包囲された町で、そこを解放したのが先に書いたジャンヌ・ダルクです。随分内陸までイングランド軍が侵攻したのですね。歴史の舞台となった点と点をつなぐ列車に乗って感慨もひとしおでした。
レンヌはル・モン=サン=ミシェルへ行く際の乗り換え場所でもあります。私もTGVをレンヌで降りて、そこから予約していたタクシーに乗ろうとしたのですが、レンヌの駅が丁度工事をしていて、待ち合わせ場所が変わっていて、待ち合わせに会えずに大変だった覚えがあります。海外の旅行は何事も日本のようには行きませんね。そう考えるとパリからル・モン=サン=ミシェルへの旅はブルターニュ、ノルマンディーの両方に足を伸ばしたことになります。
ヨーロッパ旅行は風景や建築(町並み)を見る、美術館巡りをする、さらにグルメといった楽しみがたくさんありますが、歴史を知っておくとさらに深い楽しみ方ができます。6月6日はノルマンディー、ブルターニュ、英仏の歴史に思いをはせた日になりました。最後に今日出てきた地名の場所を地図で示して示しておきます。

Googleマップより引用しに一部記入