呼吸器専門医Aがクリニック開業を志すまで①

私は1984年に旭川医科大学を卒業し、東京にあるT病院でジュニアレジデントおよびシニアレジデントの5年間トレーニングを受けました。

卒後最初の5年間の研修を受けたT病院

当時はほとんどが出身大学で自分が専攻しようとする医局に入局してのストレート研修を受ける時代でした。大学の外に出る人間はよほどの変わり者と見られ、「外に出てもどうせ通用しない」と、同期の学生たちからも陰口をたたかれていました。T病院は一般の人でもだれでも知っている有名な病院で、レジデント制度を日本で最も早く取り入れた病院の一つで、内科系レジデントは2年掛けてすべての内科系の診療科と外科・麻酔科をローテートしました。今日では当たり前の研修システムですが、初期研修でローテートが必修になる20年も前にこのスタイルの研修を受け、その中で呼吸器内科を専門にすることを決意しました。
その後は、同じ東京にあるS国際病院のスタッフとして招かれ、研修医の教育や呼吸器内科のNo.2として入院している患者さんの呼吸器診療の医学的判断の責任者として経験を積みました。

東京都中央区のS国際病院
<その後は都内にある大学病院の呼吸器内科の講師や助教授(現在の呼び方ですと准教授)を勤め上げ、2011年からは千葉県鴨川市にあるK総合病院に呼吸器内科の主任部長として招かれて勤務をしました。>
千葉県鴨川市のK総合病院

T病院もS国際病院もK総合病院もいずれも患者満足度ランキングや研修病院としてのマッチングランキングで上位の常連病院です。K総合病院では研修医の教育だけでなく、研修医を指導する指導医の育成にも力を入れました。私が赴任した当時、K総合病院は研修病院としては全国的にも名前が知られていましたが、呼吸器内科は存在が知られているとはいえない状況でした。ここでは指導医の指導、学会活動を通じてK総合病院の呼吸器内科を全国区の専門診療科に押し上げたと自負しています。

K総合病院呼吸器内科のスタッフたち

このブログを書いている時期、日本中がWBCの優勝に沸いていて栗山監督のマネジメントが賞賛されていましたが、当時のK総合病院呼吸器内科の指導医は侍ジャパンの選手たちのように、任せておけば各自で考えて最良のパフォーマンスが発揮できるレベルには達していなかったため、指導医の指導を自分がやらねばならない状況でした。ただ、もともと能力がある人たちでしたので、いったん軌道に乗れば後はうまく走ってくれ、その後のK総合病院呼吸器内科の礎を作ってくれました。これらの人たちは現在クリニックを開業し院長として活躍、あるいは地域の基幹病院で呼吸器の診療に活躍しています。
(2023年3月27日に記載)