ハッスルバイアス、ミミカー、診療終了時間間際の飛び込み「あるある」

ある日の午後、16時半の診療終了時間後に1週間前からの咳の訴えで患者さんが飛び込んで来ました。50代の男性で過去喫煙者、痰は少なく、熱はなく、既往や咳の性状、随伴症状など原因を示すような特異的なことはありませんでした。聴診でも異常呼吸音はなく、SpO2(指で計る血中の酸素飽和度、コロナ下で一般の人も通販サイトで測定器=パルスオキシメーターを購入した方も少なくないと思います)の低下もありませんでした。ご本人も咳は辛くなく、多少気になる程度とのことでした。出始めから1週間の咳は急性の咳に該当し、最も多いのは感染性の咳とされています。臨床推論ではhassle bias(ハッスルバイアス=自分が最も楽に処理できるような仮設のみを考える)が知られています。このような診療終了間際や終了後など(特に週末)の状況で陥りやすいバイアスです。ハッスルバイアスに陥った場合には、この患者さんに対しても最も軽症な原因として非特異的な感染性咳嗽(風邪の咳)と考えて鎮咳薬だけを処方し帰宅頂くところでした。胸部レントゲンを実施したのは「有意所見はないだろう」との事前予測のもとです。ところが驚いたことに、前年の検診では認めなかった浸潤影を右中葉に新たに認めました。

(左)昨年の検診レントゲン (右)今回受診時のレントゲン。右肺中葉に浸潤影を認めます。

症状は必ずしも肺炎には合致しません。この時点で17時を回っていました。クリニックの制約の中では、これから採血を行って炎症所見を確認する時間はありません。さてどう対応すればよろしいでしょうか?

時間的制約があり肺炎以上に可能性が高い代替診断がなかったために、肺炎(感染に伴う)として治療的診断を開始することとしました。肺炎としては臨床像は非定型肺炎を思わせますが、細菌性肺炎をカバーする必要がないという根拠がないために細菌性肺炎、非定型肺炎双方をカバーしうる初期治療薬としてレボフロキサシンを選択しました。この選択には異論もあるでしょう。「おまえが書いた本(呼吸器感染症の診かた考え方 ver.2)には抗酸菌感染が否定できければキノロンは使うなと書いてあるじゃないか!」と言われそうです。一方で症状が乏しいこともあり肺炎と似た影を出す他の病気(ミミカー)の可能性も考える必要性も認識しておく必要があります。このため、この日は抗菌薬を処方し、血液検査とCTを行い、結果は後日確認するということにして帰宅していただきました。翌日には血液検査とCT結果を確認。末梢血白血球数が14,000と上昇し、好中球が80%以上、血清CRPが8と高値を示しており、細菌性肺炎に合致すると判断しました。ところがCTを見ると右中葉に浸潤影は確かにあるのですが、浸潤影に隠れるように丸い腫瘤影が同居していました。

胸部CT;右中葉に肺炎の浸潤影と内側に肺がんの丸い陰影を認める

初診から3日後に再診に来てもらいました。白血球は正常化しCRPも1.5程度まで改善していました。抗菌薬は効いていると判断できましたし、レントゲンをフォローしたところ浸潤影は消えかけていた分逆に腫瘤影が明瞭に認められるようになってきました。肺炎のミミカーではなく、実際には肺がんに続発した肺炎と判断し、気管支鏡検査を含め肺がん診療が可能な病院へ紹介しました。
今回の診療ではともすればハッスルバイアスに陥りがちな診療時間終了後の飛び込みで、予想外の肺炎が疑われる陰影にこれまた予想外の肺がんが隠れていました。とても教訓的な経験だったと感じます。